2007/06/28 こころで聴いた声は消えない

右目ようやく昨日くらいから治まってきた…。疼く感じがなくなりました。よかった…ビタミンB、これでもかっていうほど飲んだのが効いたか(荒療治っていうか民間療法?笑)。
何だか分からないけど何でもいい、痛くなければ何でもいいよ…(謙虚なんだかそうでないんだか)。

今日は仏像彫刻の予定でしたが、何だか疲れてしまったので、お休み…。明日は勉強会もありますしね。
久し振りに20時台に家にいる気分。

たまに何も気にせず色々気の赴くままやりたいと思うこともあるけど、ていうかいちいち体力を考えて行動を引き算するのが何だかなと思うけど、でも無茶をしたところで事態が改善するわけでもないし、気分と体力を考えてうまいこと引き算足し算していくのが一番賢いし、一番楽だし、楽しくいられるし。と思う。
たまに思い直さないといけないあたりがまだまだだな私。

とりあえずまずは体の健康というか心身ともに体力があってこそ、です。進むこと、動くこと自体に希望と生きる喜びがあるのです。

2007/06/26 言葉は消えても

ビタミンB群、眼精疲労系サプリを大量投入してみたけど、右目が疼くのは相変わらず。鏡で見ると血走ってもないし、濁ってもないし、普通なんだけどなあ…。
鎮痛剤も飲みました。鎮痛剤こそ戦略も気負いもなく飲んでる感じ。

今日はアーチェリー。
射る瞬間無心になれるのがいいよなあ、と思った次の射から雑念がとめどなく溢れて止まらなくなるのは何故。
考えたら駄目とか集中集中とか思えば思うほど、頭の中がぐるぐるして、矢が動揺まるだしでばらけてくる。
ポリグラフかって云う…。

体調悪くて考えもぐるぐるしているときって、気分転換するのも必要だけど、でも逆にドツボにはまっちゃうこともあるんだよなあ…。
何ていうか加減が難しい…。
(でもアーチェリーは基本的には楽しいです)。

2007/06/25 明けない夜なんてないよね?

右目というか頭というか、とにかく痛い。後遺症なのか、群発性なのか、眼精疲労なのか、何が原因でどれが助長要因なのかさっぱり。もう何でもいいよ!(やけくそ)

ドラッグストアでフルスアチアミン配合の肩凝り腰痛眼精疲労に効くサプリメントを買ってきてしまいました。アリナミンのゾロ…(笑)。成分同じなら安いほうがいい(とこういう理性は失われない)。
もともとビタミンB群のサプリ摂っているので(右目痛の予防となれば、と思っていたのですが…)ビタミンB過剰摂取かも…。でもビタミンを過剰摂取しても何処も痛くならないから精神的に少しでも救いがある過剰摂取を取ります。これもプラシボ?なんちゃって精神安定剤?もう何で(以下略)。

明るいニュース(?)。梅雨時になると物もかびるが私もかびるみたいな勢いで(…)しつこく湿疹みたいなのが出来て痒くなり、掻き崩して変な汁まで出てきて痛いけど痒い、そしてそれがこっちに出来、あっちに出来、という状態になるんですが、今年は割と落ち着いています。
たまに去年湿疹の出たところが痒くなったり、虫さされなのか単体の湿疹なのかぽつっと痒くなるところが出るけど、悪化していません。
半袖の季節のため見た目もキモくてストレスフルな湿疹が出来なくなって嬉しいです。H先生の漢方のお陰なんでしょうか。
虚弱体質で年中あちこちガタピシ云ってますが、少しは改善しているところものあるのです。長生きするもんだなあってちょっと違う?でももしかしたら私、50代、60代とかで健康体に、そして70代超えるあたりで完全体になるのかも!大器晩成型!(笑)

2007/06/23 誰にも渡せないほど思いはいつも願いを乗せて隣に存る

今日は「叶神社」に行ってきました。横須賀市浦賀にある神社。平家全盛時代に、文覚上人が源家再興を祈願して建てた神社で、源家再興が叶ったので源頼朝が「叶大明神」と名前を改めたというすごい神社。
ロマンチックなのがこの神社、浦賀湾を挟んで西叶神社と東叶神社があるところ、西叶神社で授与された勾玉を東叶神社で授与されたお守り袋に入れると両思いになるというところ!素敵!
京急もまた「お参りするなら叶う神社で」とか煽るので、そういうのに弱い私は早速参ったというわけです。

開国のまち浦賀。本当に海とともにある街、港町という感じで、何処となく懐かしいような、旅情にかられるような風情。好きかも、こういう雰囲気。
西叶神社は本殿に施された竜や梟、鳳凰などの彫刻がダイナミックで精緻で豪華。お参りにしていてふと顔をあげると竜の彫刻と目があったり。意外なところに意外な生き物がいて、つくづくと眺めていて飽きない。すごいなあ。
社務所で勾玉をいただいてきました。めのう(赤)とひすい(緑)の二種類がありましたが、ひすいで。

そして東叶神社に行くには浦賀の渡しで船に乗るのです。乗船料150円、時間にして3分にも満たない航海ですが、漁船ひしめく湾内、反対側は広々と広がり、船の往来が賑やかな浦賀水道。天気がいいので海の色も青々と美しく、胸のすく「船旅」でした。

東叶神社は、勝海舟ゆかりの史跡があります。咸臨丸に乗る前に航海の無事を祈願して断食修行をしたそうで、そのときの禊に使った井戸とか断食記念碑とか。
本殿前には源頼朝が伊豆から取り寄せて植えたという蘇鉄が生えていて、何か独特の雰囲気。狛犬が父母というのも可愛い(母狛犬には子狛犬がくっついているのです)。
お参りして、社務所にてお守り袋をいただきました。こちらは赤と白。源家にちなんで白にしてみました。100円玉くらいの小さな可愛らしいお守り袋で、船と「叶」の字が金糸で刺繍してあるのがすごくありがたい感じ。
願いが叶いますように…(ドキドキ)。

その後は東叶神社の裏手にある「惠仁志坂」、「産霊坂」…それぞれ「えにしざか」「むすぶさか」と読む、つまり「縁結び」の坂!を登って、奥の院にお参りしてきました。山頂は北条氏康の築いた浦賀城の址でもあるのです。
木々のあいだから見下ろす浦賀水道は本当にびっくりするほど青く、しみとおるよう。今もひっきりなしに船が往来していますが、ここに黒船が来たんだなあ…と想像してみると、当時の日本の人の心中を思うと、胸がドキドキします。歴史の始まりというか近代日本の始まり、すごいところに来ているなあ!

浦賀歴史文化センター(だったかな)も手作り感がある、でも丁寧に愛情と誇りを持って浦賀の歴史を調べ、展示し、発信していて、こういう仕事は地味だけどかけがえないものだなあとしみじみ。当時の人の生き生きした様子、未知なる大きなものへ向き合おうとするときの緊張感、誇らしさ、高揚感を感じました。いいなあ。

そんな感じで今日は一日アクティブでした。右目のあたりが疼くのは相変わらずですが、行動できたことで満足というか癒されるものがあります。大丈夫という安心感というか。
こうやって生きていく中で、打破できるもの、乗り越えられるものがあると思いたい。

2007/06/22 右目の闇、右手の翼

右目痛、ペインスケールで云うと8ぐらいから5、4を行ったりきたりって感じ。このスケールも私の感覚でしかないんですけどね。
痛み癖みたいなものはあるのかもしれない。痛みの記憶(体が覚えてしまう)というか。
神経ブロックにそういうものを断ち切る効果があるということなんだから、こういうときに神経ブロックを受けたらいいのかも…と思うものの結局受けてないけど…。
痛み癖というか負け癖なのかも。諦め癖というか。
慢性になってくると「諦めない」こと、「受け入れる」こと、日常を生きていくこと、良くなっていこうと思うこと、との折り合いが難しいと思いますです。慢性10年目ですけどね!

2007/06/20 信じるとは私の国の王冠を預けること

右目痛、ややぶり返し。面接がない日でよかった…。でも何か物を考えるのに適さない日であった…。何だかなあ。
これは結局のところ(?)群発性頭痛ってことなんですかね。一度H先生に否定されたような気もするけど、症状だけ見るなら群発性と思える。まあ病名ついても治療法がないなら意味がないんですけど(シビア)。
症状だけで云うなら私って片頭痛、筋緊張性頭痛、群発性といわゆる片頭痛三冠王。片頭痛ではなく本当は脳腫瘍だから脳腫瘍はキングオブ頭痛ということ!?
…ポジティブシンキングしようとして失敗したいい例ですね。…本当物を考えるのに適さない日だ…(笑)。

帰り道に見える月の形が絵に描いたような「お月様」(三日月)で、何となく和みます。
満ちては欠け、完全で留まることはできないけれど、不完全のままでいることもないわけで、日々を繰り返すことで嫌なことがあっても、ふしあわせがあっても、日々を繰り返すからこそまたいいこともあるわけだ、とか思ったりしてみたり。
私の頭痛も月と一緒です、たぶん。壮大な宇宙と自然の法則のもとで決められた、知らないだけできちんと意味のあるサイクルなんです、たぶん。
…何が云いたいのか自分でも分からなくなってきた(笑)。本当物を考えるのに(以下省略)。

2007/06/19 羽の音

アーチェリー。今日はアーチェリー場に早く着いたので、準備を手伝って的貼りしました。
部活みたいで懐かしい。
そして射場(アーチェリーで使ってるけど、本当は弓道場なのです)を正々堂々ぷらぷら出来るなんて個人的にすごくドキドキします。
弓道は本気で正統な体育会系だったので弓道場で歩いたことがなかったですからねえ…。じっくり色んなところ眺めて、懐かしくも、ものめずらしく、いい経験をしました。

今日は18メートルを射ました。
相変わらず腕がぷるぷるしますが、距離があると胸がすくような「射った!」感があって良いです。的に矢が中る音もいい。胸がすく、というか、達成感というか、清々しいというか。

18メートルって的で見るとたいしたことないような気がするけど、ダイビングで最大深度18メートルというとかなり深く潜ったなーと思ったはず。
不思議な感じ。

2007/06/18 この宇宙はてのひらのなか

今日は右目痛は治まってます。頭全体がぐずぐず痛いのに関してはもうあの右目痛の後ではノーペインと云えるほど。いやそれは云いすぎですけど。
でも右目から来る痛みがなければすべてマシという気持ちにはなります…。
感覚おかしいな!でも何だか逞しいな!(笑)

スーパーの店頭に梅が並んでますね。毎年思うけど、梅酒作ってみたい。自家製梅酒だなんてロマンだ。
今年こそチャレンジしようかなあ。

2007/06/17 始まりに与えられたもの、終わりに授かるもの

今日は右目が痛くて目が覚めました。いやもう寝てるときに目に太い杭でも打たれたか(退治される化け物か…)と思うほど。何じゃこりゃー!と冗談でなく思いました。
だっていつもだったら11時くらいまですやすやぐっすり寝てるのに、7時くらい?目が覚めたとか起きたとか感覚も覚えてないくらい意識覚醒とともに痛い。術後、麻酔が切れたときに似てる。意識は断絶しているけど、強烈な痛みによって前後関係がなくてもどうでもよくなる。強制的な感じ。私って何なんだ。

寝てても痛いけど、起きても痛い。鎮痛剤を飲んだけど、全然効かない。目は見えるし、視界にも異常はない。見た目も何にも変わらない。でも右目の奥から、頭の奥から、痛みがとめどもなく溢れて、痛みそのものもだけど、溢れてくる感じ(痛む感じ)にも精神が参る。焼き切れそう。
少しでもよくなるかと肩と首にシップを貼って(本当は頭に貼りたかったけど、髪の毛があるので無理だった)、スーッとしたら気持ちが良くなるか、感覚が紛れるかと思ってハッカ油を右目元にちょちょっとつけてみたり…。もう自分でも何やってるのか分からないけど(笑)。今「これ一気飲みしたら楽になるよ」と云われたら、酢でもクレンザーでもプラスチックでも何でも飲みそうな自分…小川洋子の小説でこんなのがあったなあ…(割と余裕ありげ)。

右目を押さえて部屋の中をぐるぐる歩き回って(痛くてじっとしてられない。何とか意識を逸らしたい)、疲れたところで梅酒をストレートで飲んでみました。デパスでもよかったけど、お酒のほうがてっとり早そうな気がしたので。強制終了。
眠ったりはしなかったですが、しばらくして酔いが回ってきたのか、頭いっぱいにこみ上げてた痛みが少し治まったような…。相変わらず右目の眼球がピキピキするような痛みとか頭の右半分に割れ傷でもあるような痛みはありましたが。
梅酒でデパスを飲んで寝てしまえばよかったのかも。冷静に対応したいと考えるあまり無駄な抵抗で消耗したかも、と反省したのはずいぶん後でしたが。

夕方になって落ち着いてきたので、気分転換をかねて近所のスーパーへ行き、料理などこさえてみたり。料理は、たまにやるいい身分だからかもしれませんが(笑)普段使わない脳や感覚を使って動いている感じがして好きです。気分の切り替えによいと思う。

でも夜になったらがくっと疲れが出てきて、だるいわ痛いわで頭がぼーっとして動けなくなって参りました。…二日酔い…?(そんなばかな)
何か全般的に何にも記憶というか実感として残らなかった一日だったなあ…。痛いということばかり。これだけ長い時間たっぷりと痛かったら、むしろ痛みが常態というか何でもないこと、もっと云えば心地よい状態になったりするように感覚?神経?が錯覚でも何でもいいから変化しないものかしら…とかばかなことを考えてみたり。
あとこの痛みを水に替えることが出来たら日本中のダムを満杯に出来るぜと思いました(生産的なことを云いたかったけど、結局すごく意味のない仮定に…。笑)。

痛みって何のためにあるんだろう…。何でこんなに痛いんだろう。この痛みに何か意味があるんだろうか。人生におけるプログラムあるいは課題として私がなすべきことがあるんだろうか。私はこの痛みから何を得ることが出来るのか、あるいは得るべきなのか。何なんだろう。何でなんだろう。「何で私が」と考えるのは好きではないですが(何か被害者っぽくなるから)何か私にとって意味があるんだろうかとは考えてしまう。痛みは、その「原因」は、私に何を与えようとしてる?何を教えようとしている…?
これは結構真面目に考えました。分からないけど(あっさりと)。でもいつか納得できたらいいなあ。それが出来たら私、最強になってしまうけど(笑)。

2007/06/16 私だけが私の居場所を知らない

ペインクリニックへ。今日も今日とて変化がなく、切ない…。けど気を取り直して前向きに(?)神経ブロック受けてきました。
受けることに意義があると思うんだ…(って自分でももう何が云いたいいのかよくわからなく…)。

その後は漫喫で黙々と漫画を読みふけり、金魚屋をひやかし(何となく涼を求めてみました)、ビーズショップなども眺めてみました。自分があまり知らない、専門ショップというのはもの珍しいものがたくさんあって面白い。
ビーズショップではスモーキークォーツとして売られているけど、ただのスモーキークォーツではなくルチルの入ったものを発見。ルチルスモーキークォーツって珍しい。でも値段はスモーキークォーツのもの。おおラッキー(ほくほく)。ビーズショップは穴場だなあ。
ルチルスモーキークォーツって金運と恋愛運をもたらす石(パワーストーン)なんですって。
パワーストーンは色や透明なところとか、光るのを眺めるのが好きで、そこにいい効果があるらしいというところが好きです。知識はないけど、鉱物は面白いですね。

普通の買い物(笑。洋服買いました)もして、散歩などもしてきました。
何ていうか暇人みたいですね(暇人でしょ)。

夜はためてたビデオを観まくり。最近読んでない本もたまってるなあ。

2007/06/14 この世のおわり

今日は雨。低気圧が来ると体調がよろしくなくなるのですが、梅雨どきはきちんと雨降って欲しい、っていうか水不足が心配なので、雨が降っているのを見ると安心します。

仕事帰りに仏像彫刻。黙々と彫るのが好きでつい彫りすぎて失敗しがち…。今回(2作目)は右耳を削り落としてしまいました…良い手触りにまるく彫れたなーと思っていたら、そこは耳だったんだよ!という…。仏様は耳が大きいというか耳たぶまで長いんですよね…忘れてました…。
でも先生は「後から木片を貼り付ければ大丈夫」と。彫刻って彫り落としたらもう修正不可ってイメージがあったのですが、そういう手もあるんだ!寄木造だ!

夜、帰り道、街灯の光りが射している中で雨が銀色の線になって見えるのについ見とれてしまう。
雨…よく考えると絶え間もなく空から水が落ちてくるとは不思議なことだ。海の波みたいに理屈と理由は科学的にちゃんとあるんだろうけど、素朴に壮大に不思議だと思う。

2007/06/13 深い淵から

自分で自分を語る言葉の、その奥に、自分でも気づいていなかった、あるいは目を逸らしていた感情が、ある。それが本当かは分からないけど、正しいかは分からないけど、見えない見つからない見なかっただけで体の一部として、そうまるで腫瘍のように息づいているもの。
人体の仕組みのように複雑で精緻で息を飲む深淵のような心、感情というべきなんだろうか、内なる世界の業の深さ。でもそこにこそ希望があるような、ないような。
何を信じるか、で世界が変わる気がする。ので、そこに業と希望と何かが渦巻く感じ。

2007/06/12 生まれ変わったらまた会おう

毎週火曜はアーチェリーの日。

アンカーは安定してきたけど、筋力が衰えているため開(弦を引ききって静止して力をためている状態)で弓も体もぷるぷるぷるぷるしてしまう。
「早う射るのじゃ!」
「…そ、それがしには射ることが出来ませぬ…!」
「何を申しておる。その者はそなたの仇ぞ」
「なれど…なれど我が友にございます…っ」
という状況(微妙にopローズダスト風味)にいるのかっていうくらい震えてます。
色んな意味でおかしいから。

しかし開でためが作れないと凄まじく粗雑な早打ちになるか、手に力入り過ぎて矢飛びが曲がる。
腕力、背筋力、肩力(?)…一体何をどう鍛えたものでしょう。射ることあるのみですかね。
って虚弱体質が鍛えることを考えている!どうですかこの健やかさ!力強さ!(それだけで)

それにしても受験勉強とかアーチェリーとか学生時代にやっておけというものを社会人になってから自ら再履修している私。
好きでやっていることだけど、人間どんなにかわしたつもりでも必ず確実にクリアしないと先に進めない人生の課題的なものがあるんだろうか、とかちょっと思ってみたり。
面白くもあり、恐ろしくもあり。人生は修行だなあ。この先何があるんだろう。恐ろしいな、楽しみだな。

2007/06/09 坐禅をやってみたら

自分を探す旅をしたり、人生におけるエゴのありようについて考えたりしていたら、坐禅がしたくなったので行ってきました。
鎌倉五山のひとつである円覚寺へ。

初心者でも気兼ねなく参加出来るという話でしたが、常連さんも多く、本格的な、厳しい雰囲気でちょっぴり怖かったです。坐禅って修行ですもんね(何を今更)。

坐布団を持って畳に座るまでにも、踏み出す足は柱に近い方とか合掌しながら歩かなくてはいけないとか、作法があり、しょっぱなから挙動と心が動揺しまくりの私。
結跏趺坐といういわゆる胡座をかき、お腹の前あたりに右手を置き、その掌の上に左掌を重ね、両親指を合わせる。背筋を伸ばし、肩肘張らない。薄目になる。
これが坐禅の姿勢。
姿勢を良くすること、呼吸を長く深くゆっくりすることを意識することが大切だそう。
そうすることで、頭や心の中の雑多な考えが静まるという。

実際やってみると、深呼吸を意識して続けるのって結構難しい。
薄目も瞼がぴくぴくして落ち着かない(端から見たら白目になってそう)。
とか雑念まみれ。そんな状態でも坐禅を続けていると、すーっと何にも考えない無の状態が訪れ、でも「あっ!今何も考えてない状態だったよね!寝てたのとは違うよ!?」とか思ってしまってまた仕切直し。
「集中、集中」と思った時点で心が静まってないんだから難しい…(と考えることもまた…)。

坐禅といったらあれ。
肩をビシーッと叩かれるあれ。
警策と云われるあれは志願制でした。
集中出来ないな、とか、寝ちゃいそう、とか思った時にやってもらうそうです。
雑念にまみれて俗だったり邪なオーラを出したらすかさず見抜かれて問答無用で打擲されるのかと思ってました。

志願している人が結構いましたが、音が凄い。
最初威嚇のために床を棒で思い切り叩いて音出しているのかと思ったくらい。
音聞くだけでもう十分眠気飛びますから!(戦々恐々)

せっかく坐禅に来たんだから警策を受けたいものだと思ってたけど、相当かなり痛そうだからやっぱり無しだな…いやでも隣の人(作務衣を着た常連さん)もやってもらってるし、文字通り喝が入っていいのかも…でもあの音怖すぎ…痛いだろあれは…でもでも…、
と悶々として集中出来なくなったので警策お願いしました。
弱いあたしを叱ってよ!!!(何の話)

お坊さんが前を通った時に合掌するのが志願の合図。
お坊さんが前に立ち、合掌して礼をしあい、坐禅してるほうは両腕で体を抱えるようにしながら前屈みになり、その背中の左、右それぞれ2回叩かれる。
終わったらまた合掌して礼。
また坐禅。
という流れ。

自分で志願しておいて合掌しながら後悔を覚える私…。往生際が悪い。
でもやってもらったら痛くなかった!
耳元で響いた打擲音の凄まじさ(木と木が激しくぶつかったみたいな)に一瞬耳から頭が空白になって、でも痛くなく、むしろしゃんとなりました。
坐禅…奥が深い…。

そんなこんなで20分間の坐禅を2回やって、正座してお経読んで(経本を見ながら)終了でした。
でも終わった後は何故か心にある空虚が意識されてならず、鬱屈とした考えばかりに捕われて気が塞いでしまいました。
1回で何かを得たり悟ったりは出来ないでしょうが、迷いがなくなったりクリアな心境になるものかと思っていたのでびっくり。
さても迷いと業が深い私の心の弱さよ。
私の旅はまだまだ続きます…。

2007/06/08 植物の種のようになりたい

がんセンターへ。待ち時間の最後のほう30分、待合室で寝てました。意識途絶という勢いで寝てました。名前を呼ばれてはっと目が覚め、中待合に行ってイスに座ったらまたストンと寝てしまって、呼ばれて診察室に入ったとき、ぼーっとなってて自分が何をしているのかなかなか把握が出来ませんでした。
どんだけお疲れなんだっていう…。

診察内容は相変わらず。人間の頭は重くてそれを支えるのが首だけで、私の場合、手術のため首の筋肉が人より弱いので余計首に疲れや緊張がたまる、でも首の疲れや緊張を取る方法はなかなかない…というような話。袋小路ですね(断言するほどのことではない)。
人間の頭は重い、4・5キロある、と聞いたとき昨今多いニュースを思い出してちょっとブルーな気持ちに…。医者が云うと妙に生々しい…。
あともしかしたらこれはいいんじゃないかなーという漢方があるけど、膀胱炎適用なのでなかなか出しづらいとのことでした。効くかもしれないなら試してみたい!と思って先生にもそう云ったけど、がんセンター脳神経外科で膀胱炎しかも虚偽っていうのもなあ…。うーん…。
とりあえず梅雨どきの冷え性がどうなるのか、どこまで改善されるのか、見極めるために前回と同じ処方になりました。
冷え性…温水浴もやってるけど、どうなんでしょう。改善されてるのかしら…。すぐにくだりばらになるあたりどうなのかしら…。すぐにどうこうなるものじゃないですけど、どうなるのかなあ…。

診察が終わって職場に行くときに、何となくいつもと違う経路で行ってみようと思ったら結構見当違いだったらしく(笑)変な方向に行きかけたけど、網の目状に密で発達した東京メトロ、何だかんだと目的の駅にたどり着くことが出来ました。一瞬反対方向の大回りをしかけた、と思ったけど、うまいこと折り返してすいすい行くあたり、小川の流れに乗った葉っぱになった気分でちょっと面白かったです。

2007/06/06 あたたかい手とつめたい頭

私の人生における脳腫瘍とは何か、根幹に関わるファクターとしての意味、存在意義、今後の私の人生を変え得る脳腫瘍的な存在、というものを掴みかけたような気がしたけど、今朝起きたら分からなくなっていました(え、えー…)。
何だったんだろう、昨日の夜は人生の秘密に手を触れんばかりだったのに…。夜書くラブレターは翌日見るとありえない駄文みたいなものかしら(笑)。

コムスン事件。職場でネットニュースを見て、思わず変な叫び声をあげてしまいました。直接関わりはないけど、でも何か介護業界トータルで見たらすごい動きになりそうな…。ていうか介護保険そのもののありように関わってくるのでは…。と非常に落ち着かない気持ち…。

しかし冷静になると、このタイミング、何だか年金問題からの目くらまし、選挙対策って気もしてきていやな感じだ…。もちろん不正は許されないし、コムスンは悪質だったと思うけど、そうせざるを得ない事情もあったわけで、その責任の一端は行政にもあるのに…と納得いかない。
厚労省って医療費削減するために病院を減らす、みたいな、単純すぎて根本解決になってない、でも大打撃を与えることをするからなあ…。
真面目に働いている現場の人たち、介護を利用している人たちとその家族に悪いことが起きないといいなあ…。
でも経営者だけがうまくトンズラして痛い目見ないというのが世の常よね…。何だかなー。

2007/06/05 不滅のたましい

今日もアーチェリーやってきました。
矢取りと云われると駆け出しそうになるとき。
矢が左に寄ると反射的にサイトを右に修正したくなるとき。
アンカーが入らなかったり、クリッカーが落ちなくて、引くに引けない、放つに放てない膠着状態になってしまうとき。
さる腕を痛打してものすごい内出血になるとき。
疲れてくると力任せの早打ちになるとき。
そんなときアーチェリー部のことを思い出します(マニアック)。

やっぱり3年やると体に刻み込まれるんですかね。運動神経良くないのに、ブランクあるのに(十数年のブランクそしてその間に全麻手術2回)、体がよく覚えているのが不思議。自転車のようなもの?(ここ数十年触ってもないけど一輪車も乗れば体が思い出して乗れるかも)。
体は不思議だなあ、としみじみします。

それにしても久し振りに地道な様式美(っていうんだろうか。型通りを的確に繰り返すこと)を要求されるものをしてるなあ。
ごまかしが効かないところ、自分の無意識の癖を克服することの難しさ。
ひたすら繰り返し、体力をつけて体が覚えて反応していかないとダメという。
こういうの久し振り。苦しいけど、もどかしいけど、悪くはない。むしろ面白いかも。

こういうのを何年も続けてきた人、出来る人って、なるほど精神力が強くなりそう。体に反映する精神力の強さがありそう。
などととりとめなく色々考えてみたり。

2007/06/04 記憶の扉ごと

くだりばら、大分良くなってきました。脂っこいもの、食べすぎは控えるようにしてますが…。
一応毎日ビフィズス菌が生きたまま腸に届くというヨーグルト食べてるのになあ…。漢方が合わないのか…ってH先生に殴られるよ!(笑)なんだかんだと系統としては胃腸に(も)いいものですからね。
あー早く健康になりたーい(笑)。

今日は19時くらいまで面接がありました。言葉を選びつつ、けれど誠実に的確に話すというのはやはり難しいし、神経使う…。そのために面接技術習っているのに、実際はなかなか活かせなくて後悔しきり。

しかし話を聞いている患者さんの家族としてはきちんと分かりやすい説明をされても飲み込めない、というか、受け入れがたいものもあるんだろうなあ…と思う。例えばがんという言葉、ホスピス、転院。いつのまにか馴染んで当たり前になってしまったけど、普通は人生に一、二度聞くか聞かないかって話ですよね。そういう重みを病院は何にも出来ない。むしろどんどん選択を迫っていく、というのは何だかなあ。患者本位の医療、インフォームドコンセントとは云われるけど、果たしてそれが本当に患者さんの、そして家族の幸せにつながるかというと微妙なところもあるけど、でもそれを含めて闘病は辛いってことでもある…。理不尽だけど、救いどころは自分で見つけるしかないというか…。
病人としてMSWとして、歯がゆさを感じます…。うまく云えないけど。

2007/06/03 人体は小さな奇蹟

今日は整体を受けるのではなく、習ってみました。
H先生の影響ではないですが(違うよ!絶対違うよ!笑)、血流、筋肉そして骨格のことを勉強してみたいと思ったのと、あと私がデスクワークPC酷使のため肩凝り首痛頭痛持ちで整体にはお世話になっているので興味があったからです。
自分で整体の技をかけることは出来ないけど、理論(仕組み)を知ってみたいのと、親の肩もみするのに役に立つかな、と。

整体にも色々流儀(?)がありますが、今日のところは「痛いところを揉んだって治らない」流でした。
早速しょっぱなからショック!!ていうかお母さんごめんなさい、超揉んでました。揉むのうまいとか云われていい気になってよく揉んでました!!

先生曰く、揉むと筋肉の組織が傷んで血が溜まる→血流が悪くなるとさらに痛みがひどくなる、らしいです。筋肉をいかにほぐすか、が重要らしいです。しかしほぐすのに揉む行為は逆効果…。
お、お母さんごめんなさい…。

まあ気を取り直して。
大体の体の不調は血流が滞ることに原因があるというのは基本なんだなあと実感。
血が健やかに流れるのには筋肉が健やかに働かなくてはならないというのが原則になるけど、それを実現する理論は西洋医学東洋医学、整体、カイロなどなどで様々、というのが興味深い。

まずは患者さんのように先生から整体の手技をやってもらうんですが、それがすんごい気持ち良かったので、やはり整体の類は習うよりお金を払ってもやってもらうのが一番…という考えになりかけました。
いやいやいや…。

揉まないならどうするのかというと肘を使って骨と筋肉の際をほぐすのです。
際というのが分かりにくいのと力加減が適切なのやらそうでないやら掴みにくいのが難しいです。
自分で自分に対して出来る手技というのも教えてもらいました。肩凝りにいいという技。これは重宝するかも。

でも自分の体なら「ここが凝ってる」と分かるけど他人の体って見て分からないし…。む、難しい…。
先生相手ならまだいいけど(いやよくはないけど)知らない人にやってみてごりっと変な筋痛めたらどうしよう…!!とか思うだけで戦々恐々…。
整体師だから痛い思いをしてもそれが効くと思えるけど、私が痛くしたら(それが正しい手技でも)怒られないかなあ…とか(笑)。
とりあえず帰ったら母親で人体実験してみます(親孝行か…?)。

2007/06/02 神様はいつもほんの少しの慰めを用意してくれている

今日は出勤。しかし静かな一日。いや別に悪いことではないですが、でもやっぱりあれこれやることがあってあっというまの一日のほうがいいかな、とか。
でも何だかんだとファイル整理などをしたらすっきりしたので、まあこれもいいか(どっちだ)。

仕事帰りに美容院へ。気が短いのはまったくもって私のいけないところ、と思いつつも、予約してたのに待たされて面白くなく思ってしまう…。憮然。
また今日はそういう気分からの回復が出来ず、いつまでもぐだぐだ、むいむいと気が晴れず面白くなく、嫌な感じだ…。大人になりたい。
でもそこで自己嫌悪を突き詰めても悪循環なので反省しつつ毒だしだと思って今日は終わり。
明日からはまた良い心持ちで過ごせるようにします。
牛乳飲もう…。

2007/06/01 6月になりました。

こ、今年も半分が過ぎました。月日の過ぎる速さには毎度武者震いがするのう!(風林火山)。
いや本当に何気に今年も半分。気を抜いたらあっというまに残り半分も過ぎてしまいそうなのでしっかりせねば。
今年は何といっても10年目の記念イヤーなので(!)集大成といったらなんですが、今までの自分に対して胸を張れるような、あるいは微笑みかけられるような、何かいいことを頑張れるよう頑張りたいです。
いや今年の私は、そして10年目の私は今までとは違うのです。
やりますよ(何を)。
とりあえず幸せになれるよう日々頑張ります。前向きに、心強く、そして楽しく楽しく。
人生は思いもかけないことの連続だけど、だけど、だからこそやっぱり素敵でいい。生きててよかったと10年目でさえ何度も思うのです。

今日は映画の日だったので「GOAL!2」を観てきました。感想はリハビリのほうで。
映画館ってなかなか足を運ぶチャンスがもてませんが(ついまあDVDでいいや…と思い、最終的には地上波待てばいいやになる。笑)、行くとやっぱり映画館ならではの音響、映像の迫力に感動しますです。
まるで自分がスポーツしたかのようなリフレッシュさを味わえるスポーツ観戦(但し勝ち試合)みたいだ。
またたまには映画館に行こうと思いましたです。



HOME

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送